第2章 続き:

 夜営の夜はおだやかに過ぎていった。兵士たちのしゃべり声、装備を点検する
 物音、そのあいまを縫って誰が吹くのか低い口笛がながれる。おそらく
 彼の郷里の古い歌ででもあろうか。ファーレンはそんな光景をなんとはなしに
 眺めながら村の中を歩いていた。
 「静かだな…。この先いつまでこんな具合でいられるかわからんが。」
 彼のサンダルが何かをぱき!と踏み割った。思わず拾い上げてみるとそれは
 打ち捨てられた古い木の匙だった。この匙のもとの持ち主はどうしているか、
 おそらく生きてはいまい。取るものもとりあえずに逃げて…
 いつしかファーレンは己の陰惨な過去の残像にとらわれていた。
 

 あれは堅牢な砦柵だった、歩哨も四面の塔の物見もぬかりなく警護の任に
 ついていたはずなのに、夜明け前の夜がいちばん暗くなるときにルナー軍の
 奇襲を受けた…なぜだ?毎日鍛錬を繰り返していたはずの聖堂戦士たちが
 槍も弓もろくろく手にすることもできぬまま倒された。現場は混乱し、
 兵士たちは誰の命令に従ってよいのかわからずうろたえるだけ、軍隊としての
 体をもはやなしてはいなかった。だから俺は…イェルムの「太陽の王」であり
 俺の義父でありあの砦柵の司令官であるあの男なら適切な判断を
 下してくれると信じていた、愚かなことに!
 司令官の部屋へ入ると、そこにいたのは一軍の長ではなく愚鈍な貴族、
 そしてその一家が笑えぬ寸劇を展開していた。

 「はやく、その壺はいいものだ、持っていけ!その鷹の置物もだ!」
 「あなた、わたくしの装身具は?金と七宝のチョーカーはどこ?」
 「お母様、そんなものまた買えるわ!お父様そんな冠よりも馬車の仕度を!」

 「義父上、どうしたのです?!兵士たちは混乱状態です、ご指示を!」
 そう叫んだ俺にあの女…俺の妻はわめいたな、
 「お前には関係ないわよ!それより私たち逃げなきゃ!馬車を出しなさい!」
 「そうじゃファーレン、現場はお前が仕切れ。わしらはひとまず退散じゃ」
 そういいながらも床にちらばる金細工をかき集めては手箱に押し込めていた。
 あれが「太陽の王」?あれが「貴族」というもののなす行いなのか、
 俺は目の当たりにしてなお信じられなかった。
 「司令官殿、外ではわれら聖堂戦士軍が必死でこの場を持ちこたえています!
 あなたはその部下を見殺しにして逃げるおつもりか!ならば兵士たちにも
 退却のご命令を下さるべきではないですか!」
 「うるさい!私たちに命令するつもりなの?百姓あがりのくせに!」
 「そうじゃ、兵士は補充できるが貴族の血は絶やせぬ!早く言われたとおりに
 せぬか!」
 あのとき目の前が真っ赤になるほど燃え上がった感情はなんだろう?
 義憤?屈辱?絶望?俺は腰の剣を抜き「太陽の王」に斬りつけた。私利私欲で
 ふくれた腹を何度も突き刺した。腕の中に抱えた貴重な財産を血まみれにして
 わが義父上は死んだ。義母上はその光景を見て泡をふいて倒れたので、頭を
 金糸の組み紐で繊細にあんだ髷ごと叩き割ってやった。わが妻は小動物の
 ようにキーキーわめいて歯をむきだしていた。彼女の細い首を締め上げるのは
 たやすいことだった。
 俺は床一面にあふれた貴族の血の中に剣を投げ捨て、部屋に火を放った。
 そうして槍を持ち上げ外の通路にでておめいた。
「われは聖堂戦士第一列長、銀髪のファーレン!最後まで戦って死にたい者は
 俺に続けええ!!」
 そうして数すくない生き残りの聖堂戦士たちとルナー軍に特攻をしかけ…



 「『銀髪のファーレン』か。ふむ、名前は知っているぞ、たしかシールド
 プッシュの試合でわれらが選抜チーム「インペリアルレッズ」のコーチから
 聞いたのだ。すばらしい力と美貌の持ち主だとな。
 美貌のほうはもうはや見る影もないが、そなたの戦いぶり鬼神のごとし、と
 報告を受けた。そなた一人の槍でわが軍は50人もの兵士を失ったのだ。
 恐るべきつわものだな。」

 明るい天幕の中央に、きつく縛り上げられ引きずり出された俺を見て
 ルナーの司令官はそうつぶやき、微笑んだ。
 俺の顔の左側はやけどと切り傷で焼けるように熱かったが、司令官はそこに
 膏薬をぬり布を巻くよう命令した。
 「砦は焼け落ち、聖堂戦士は全滅、イェルムの光の王も殺された。お前には
 もう帰る場所はあるまい。そこで私はお前に3つの選択肢を与えよう。
 聖堂戦士として名誉ある死、虜囚としてみじめな余生、そしてルナー帝国の
 栄光をいやます戦士としての新しい人生。どうだ。」彼女は自分の顔を
 そっと俺の顔にちかづけ、紫色の瞳をきらめかせた。
 「わが帝国の版図拡大のため、人員はいくらあっても足りぬのだ。我々は
 優秀な人材を常に求めている。お前ほどの男をあたら失うのは惜しい。改宗、
 という言葉を知っているか?」



 「『銀髪のファーレン』もいまや「裏切り者ファーレン」
 そして仮面で傷跡をかくす「銀月のファーレン」のできあがりだ…
 もう俺はルナー帝国にしか生きる場所はないんだ。」
 ひとりごちる彼の足元を小さな動物がちちっ!と鳴きながら走りぬけたが
 気づかれることはなかった。だが崩れた土塀の陰から地面に身を投げ出した
 兵士にはさすがに目をとめた。
 「あ、シルバームーン、いや、隊長、しし失礼しました!」若い兵士はあわてて
 いずまいを正し敬礼した。
 「何をしている?こんなところで」
 「いえ、あの、ねずみが…」
 「ねずみ?野ねずみでもでたんだろう。それより明日も早いぞ、戻って休め。」
 若い兵士はうなだれて仲間のほうへ戻っていった。


 「ちびすけめ、なんで逃げるんだよ。せっかくベーコンの脂身持ってきてやった
 のにさ。ちぇっ、ヘビにでも食われちまえ。」
 彼らの物思いもつぶやきも、夜空高くの前駆星に届くまえにかき消えていった。